ありがとうの循環

盛りだくさんな1日で、LINEの返信もできない状態でした。笑
この時間の使い方ができるようにると ” 絶好調の印 ” なのですが・・・実は、飛ばし過ぎ注意報です。
もう、3月11日までノンストップ。

(発熱するか、鬱転するか。)

野菜の収穫、認知症の人と家族の会に参加、

▼本日のランチ

司法書士のお友達を大切な仲間に繋ぎ、久しぶりお友達との再会で楽しい時間。母の新しいケアマネさんとの顔合わせ、そして、母入浴介助。
もりもり過ぎました。大反省です。

(健康には、留意していきますのでご安心ください。)

母の介護にこれだけ積極的に関わることができるなんて、信じられません。ほんとに。

父が亡くなった時、微々たる相続で妹と大喧嘩になり、大きな歪み(ひずみ)ができたからです。

妹との距離が縮んだのは、私が農業をはじめたことがきっかけでした。
私の仲間も実家で過ごす時間が出来たことで、私との会話よりも、「妹と仲間の会話」が増えました。
妹の柔らかな表情を垣間見たり、間接的に妹の苦労を耳にしたりすることもありました。

そこからお互いの距離が柔らかいものになったように思います。
(妹はどう思っていたかわかりませんが。)

たった、一年半ほど前のできごと。

妹もある持病で、要支援1。
自宅での母の入浴介助は、不可能なのです。
今こうして、母の介護をお互いの負担を図りながらお互いの存在に感謝して介護できるなんて夢のようです。

命には限りがあります。
順番でいくと、母の方が先に命の終わりがきます。
3年前から無職の妹も、この物価高では生活が苦しくなってきたようです。母の年金だけでは。
母が亡くなったら、生活できません。妹の経済的自立と母の緩やかなADL低下。

司法書士の友達が教えてくれました。「このようなケースは、驚くほど多くあるよ。」
親の介護のために離職し、親の年金で暮らしている家族。

母が亡くなった時、妹の喪失感を想像するだけで、私は胸が苦しくなります。
でも、私の人生ではないので、深く悩まないことににしています。
冷たいと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが。まだ、起こりもしていないこと。未来のことを悩んでも仕方ありません。

鬱の頃の私は、このようなことで深く悩んでいました。

今を生きる。
今が楽しいかどうか。
ありがとうの循環って、大切だな。

おやすみなさい。また、明日。