認知症と共に生きる母

母が自宅に戻って、4日が過ぎました。
福井県敦賀市から大津市の自宅まで1時間半ほどの長旅に母は頑張りました。
介護タクシー(ストレッチャー)を利用して移動は、車酔いする母にとって苦痛だったかもしれません。

病院を出る前、看護師さんが方言で、「わろとるね。口がほころんでるわ。」
私の胸はキュッと熱くなりました。

母が、1年ぶりに太陽の光と風を体感じた瞬間。
どんなに開放的な気分になっただろうか。
あれだけ、「病院からでたい。」「こんなところは嫌だ。」と。
退院サマリーには、レビー小体型認知症と記されていました。

認知症は、症状です。
症状や画像などによって、病名がつけられるのでしょう。

母は、症状を薬で抑えました。
仕方ないことでしたが、ALD、QOLの低下は顕著に現れました。

母が母でなくなってく。
覚悟はしていたものの・・・

もう少し早く、退院させてやりたかった。
今の母は、全身脱力状態。
瞬きと、目を見開くだけが母との意思疎通の手段です。

身体の色々な部分をさすりながら、声をかけることしかできません。
色んな思い出が、蘇ります。
色んな感情が湧き上がります。

1番の後悔は、母との時間を丁寧に過ごすことが出来なかったということ。

心から、美味しいね。
心から、楽しいね。
心から、嬉しいね。

湧き上がる感情を一緒に味わいたかった。

今更そんなこと感じても仕方ないのに。

母が大好きだったハーモニカ演奏
母が得意だった折り紙

今からでは、もう遅いけど。
もう一度、聴きたかった。
もう一度、自慢気に扇子に乗った鶴を折っている姿を見たかった。

おかげさまで、母の体は褥瘡もなく綺麗な状態です。
入院中の生理食塩水がまだ、体内に残っているので痰が絡みます。
尿の量は、確実に減ってはいます。
体内の酸素飽和度もまだ安定している状態だけど。

寝る時間が多くなってきました。
目の表情も少なくなってきました。
枯れていくように〈死を迎える状態〉に近づいているのだと思います。

妹は、休業制度の整っている会社に勤務しているので介護休暇、介護休業を取得してくれました。
私は、フリーランスのため、仕事の量を調整したり、タイトなスケジュールで動いている現状です。
母との時間をそれぞれの関わり方で過ごしています。

病院の安心感と在宅での安心感。

母を主体とした場合は、後者の方だと思います。
母が願っていた状態での帰宅ではないけれど。

病院を出る時の母のほころんだ口元が忘れられません。
苦労を選んで生まれてきた母。
私たちに何を与えるために、母は苦労を選んだのだろうか。

母との時間、もう少し味わうことにしょうと思います。
妹の精神状態は大丈夫だろうか。

少し心配になってきました。

最後まで読んで頂きありがとうございます。