認知症と共に生きる母

2025年11月12日
退院から、6日目。
朝の冷え込みが強くなってきました。

母は冬になると私の服を電気こたつの中で温めてくれたことをふと、思い出しました。
私の子育ても同じことをしていました。笑

母の退院から、妹と母の命の仕舞いを引き受けるために実家に泊まっています。
自分の会社のことなので調整はしやすいものの、やはりいつもと違うパターンは何かと制限がかかります。

母が、倒れたのが10月9日の夜。
もう、1ヶ月以上母は自分の意思を表現できない状態です。
生きること。
それは、食べて、寝て、排泄して、自分以外の人とコミュニケーションを図る。
そして、誰かの役に立つこと。

母がこのような状態になり、私が自分自身と向き合う機会を与えてもらっているのだと思います。
私は、なぜこの世の中に生まれてきたのか。
母を選んで生まれたのか。

それは、もっと自分自身が軽く生きるためだと思います。
母は苦労の道を選んでいました。
私も鬱になる前はそうでした。しかし、色々な出会いのおかげでお金に対する価値観や生きることに対する価値観が大きく変わりました。

「自己中心的に生きていいんだ。」
まずは、自分を大切にすることなのです。
鬱状態だった私は、他人のことを優先していたのです。
だから、極端に思える〈自己中心〉になるぐらいの思考が必要だと思いました。
10年ほどかかりましたが、思考のチェンジをすることができました。

お〜っと!鬱状態になってしまう〜
そんな状況も自分で判断できるようになりました。

母のおかげです。
初期の鬱状態は、母のせい、環境のせいにして、この苦労、我慢の先には明るい未来が待っている。
待っているわけありません。苦労、我慢の思考は重すぎます。
それを体現していたのは、母でした。
お見舞いに来る人は、口を揃えて言います。
「みっちゃんは、苦労しゃはった。」「よう我慢して」「人のためにようしてくれはった。」
良いことですが、自分を犠牲にしすぎていたのです。
そこに私も甘えていました。
私も母のように我慢して、良き母親、良き嫁、良き妻を演じていました。
自分を押し殺して・・・

鬱になる人は、認知症になるリスクが高まるとも言われています。
能天気な、空気が読めない方が良いのではないか・・・というのが私の見解です。

さて、少しだけ話がそれますが。
そんな母とも色々と活動をしてきました。
その一つが、11月11日は、介護の日。
認知症家族の会滋賀県支部の活動に、認知症キャラバンメイトの一員として、認知症メモリーウォークという啓発活動に参加していました。
今回で5回目。
若年性認知症と診断された方や事故で高次機能障害と診断された方も、参加されていました。
彼らの働き場所、居場所について、考えさせられています。

認知症と診断されたら、利用するサービスはまず、デイサービスや認知症カフェです。
高齢者の中に65歳未満の方の居場所は適材適所なのか?
滋賀県内には、高次機能障害の方の作業所が存在しないそうです。
別の障害がある方の作業所に通所されているそうです。
就労継続支援事業所(B型)もその方々の居場所だそうです。

それでいいのか。
違和感を感じているのは、私だけでしょうか。

母の働きたい
母の誰かの役に立ちたい。
まだまだ、できることがある。

母の日記に綴られた色々な気持ち。
しっかりと受け止めて、私なりに社会貢献事業を始める決意をしました。

誰かの死は、残された私たちに多くのことを残してくれます。
母に関わって下さった皆様に感謝申し上げます。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。