初月忌 認知症と共に生きた母
2025年10月14日母の命日、昨日で、1ヶ月。
悲しみよりも
辛さよりも
寂しさよりも
後悔と無念が私の胸をえぐり続けている。
この節目の法要を妹はスキップした。
「予定が入ったので、まとめてやってもらえないだろうか。」と住職に提案したそうだ。
住職は、しっかりとお唱えすることを軸にされているため、そこは譲られなかった。
ほんま者だと感じた。
コロナ禍以降、簡略化、対面よりオンライン。それを好むようにさせらてた人間。
日本人として、大切なことを失わされ続けた80年。
まだ、目覚めない人が多くいる。
私は日本人として大切なものを継承しようとしていた父を尊敬している。
狩猟の資格を取得し、社家でもないのに、神職につき、しめ縄を独学で学んだ。
(母は、神職が狩猟してはならないと怒っていたことを記憶している。)
日本人として、大切なもの。
見栄ないものを感じること
文字にするとなんだか怪しくなってしまう。笑
母には母なりの生きづらさがあったと、叔父に聞かされた。
そんな母の幼少期を知ったのは、お通夜が終わった夜中のこと。
遺産分割のために必要な戸籍謄本を取り寄せると改めて、多くの人と繋がったことで今の私があることに感謝が沸き上がってきた。
母のために念仏を唱えることが、日本人として、ご先祖様を敬うことに繋がる。母への後悔と無念を癒すために。今の私にできることはもうそれしかない。
私は、初忌月をスキップすることを妹から聞かされていず、住職から聴くことになった。
私は、その日の法要が終わってから、対面で住職にお願いにあがった。
「初忌月の件、妹から聞かされておらず、私はお参りをしたい。」
「では、ご自宅に11時に。」
「いえ、自宅は入れないので、お寺に伺います。」
「・わかりました。」すぐに事情を察してくださった住職。
「妹には内緒にしておいてください。」
初忌月法要は、無事にすんだ。
「妻とも話していました。わざわざ、お越し頂いて一緒に御念仏を唱えたい。と仰ったことが素晴らしい。と」
私は素晴らしいと思ってもらいたいわけでなく、日本人としての心を大切にしたかった。ただそれだけで。
母の大好きだった、あんぱんをお供えしていただいた。
じんわりと、私の目には涙が浮かんだ。
母が亡くなったことや介護でのエピソードを妹と語り合うわけでもなく・・・
母への後悔と無念に押し潰されないよう仕事に集中している。
夢に向かって、走り続けている。
どこかで、緊張の線が切れないように心身を保つこと。夢に向かって、走り続けるしかない。
人との巡り合わせは必然であり、運命の扉が突然開くと信じて。
それは全てを受け入れてやるぞと決めた時、運命の歯車は自然に回り出す。
真に願い、それを求め、受け取ることができれば、努力はいらない。
そんなふうな言葉を先日、頂いたばかりだ。
人生がどう動くか。
それは、私自身が「やるぞ!」と、全てにおいて覚悟することなのだと。
冬至の日に向けて、自分自身と向き合う時間を大切にしたいと思う。