人となり

年末年始の体調不良は、新たな自分となるための大きな浄化だったと振り返っています。

私のとって、このブログは心の整理整頓のシーンとして、習慣化されています。馬鹿正直に毎日連続投稿を365日以上継続できました。

(サポートしてくれたHP制作者さんに感謝です。)

その当時の私は何者でもなく、「認知症になっても、お金を持っていたい。」「認知症になっても誰かの役に立る環境が欲しい。」ただそれだけを強く思っていたのです。亡き母が、そう言っていたから。俯瞰して母を観察していたから。自分ごととして捉え、社会貢献できる今も強く信じています。

その熱い思いはブレることなく、生活のためにお金を稼いでいる時期もありました。今は、自分のやりたいこと、私自身の存在価値で、対価を得ることができるようになりました。

やっと。
やっとです。

このブログは、誰かの何かのヒントになれば・・・それだけの気持ちで書き綴っているのではないと、最近になって気づきました。

私にとって、瞑想の一つになっているようです。
心の中にモヤモヤがあったり、思考をまとめたいときに文字にしているようです。

ブログでも何度か書いているように、私の脳内は、多動です。
いろんな閃きが湧き出てきます。
それをいろんな人に話してしまうおしゃべりさんでもあります。笑

そんな中で、色々な人と交流する機会が増えてきました。大学教授や行政の方、多くの経営者さん、イベント出店者の方、認知症と共に生きる人、そのご家族の方など。
そして、私の大切なmusubiの仲間たちもそうです。

仲間の一人が、「お香典を・・・。」「いらないよ〜」
「いや、そんな付き合いよりもmusubi村の実現に向けて、力を貸して欲しい。」と伝えると、快諾してくれたことが私にとって新年早々とても大きなプレゼントでした。
本当にありがたいことです。

人となりの温かさに触れることができました。

母は、認知症の症状が進行するにつれ、どんどん感性が磨かれてきました。
「あの人は、なんかいややな〜」と。
その方から出ている雰囲気に敏感になっていました。
認知症と診断されてからもお友達がたくさんできました。デイサービスでの出会い、認知症カフェでの出会い。

多くの方の日常に母は溶け込んでいました。

当たり前ですよね。
日常に生きているのですから。笑
認知症と診断されても何も変わりません。
変わるのは、周りの人です。
不安で苦しんでいるのは、本人です。

認知症と共に生きる人は敏感です。

自分自身として対応されていない。
認知症の〇〇さんとして扱われていることに敏感になります。
ご本人が言葉にしなくても、心で感じているので心の距離が少し遠くなります。

私も先日、そのようなことを感じる場面がありました。
知らず知らずにその人の本質がポロリと出ます。

ある打ち合わせで、「あ〜この人、自分を大きく見せる人なんだ。」
「あたかも自分の手柄のように話すんだ。」と感じてしまいました。
無理ない範囲で、お互いが心地よい距離感を見つけられるなら良いなと、思っています。

人としてのその人の本質。
言葉や仕草、口癖、顔だちにも現れるのそうです。

私はどうだろうか。

穏やかな笑顔で
温かい眼差しで
愛情のこもった優しい言葉で人に接することができているだろうか。

和顔愛語(わげんあいご)
仏教用語です。

明るい世の中を創る、その一歩

私は何者なのか?
冠なしで、大丈夫。
私は、田中亜由美であることに変わりまりません。

今日も穏やかで、軽やかな心もちでいられますように。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。