認知症の母が転倒

認知症の母
認知症という「冠」はいらないのだけど。
認知症という症状の大変さを少しでも多くの方に理解していただきたくて、「認知症の母」と表現しました。

妹の月イチのお楽しみ「お華」のお稽古で、出かけるので私が終日、私が見守りです。

朝方、本人の寝室にて転倒し、お尻と左肩を打ちました。動けているので骨折はしていなようです。
(流石に何度も母が転倒すると私たちも慣れたものです。)
なので、妹も通常運転で出かけていきました。

母の症状は明らかに進行しています。ショートステイ明けから、
「ここはどこ?」の連発です。

「分からない。」
「忘れてしまっている。」
「ひーさん(妹)はどこ?」と
母の頬を涙が流れています。

「ここは、源七(げんしち)」
*げんしちは、私の実家の家号です。
「ひーさんは、京都。」
「夕方帰ってくるよ。」
私は、その繰り返しを十数回繰り返しています。

私 仕事になりません。笑

このままの生活でイイのだろうか?
そばに誰かがいないと成り立たない。母の「生きる。」

病院に入院したら、ADLが低下する。パーキンソン病の内服薬の調整なのに・・・
私の中では、矛盾でしかない。
これが認知症の厄介なところだと私は考えています。
パーキニズムもレビー小体型認知症の症状なのであれば、内服薬でコントロールしても改善するのだろうか?他の脳の部位が悪さをしていたら・・・

母も、信頼している敦賀温泉病院玉井医院長の病院に入院なら、素直に従ってくれることに期待しています。

妹はお華の先生からの言葉で、もう少しで決断と覚悟ができそうな気配です。

「○○先生にも誰かのための人生は終わりにして、自分の人生を生きなさい。と言われた。」と知らせてくれました。

そんな中、仕事仲間の母もベットから転落したとの報告が・・・
続きは、つぎに。

今日も、介護があるけど、自分の「生きる。」に向き合って、暮らしましょうね。