認知症と共に生きた母へのお詫び

今日は、母の49日法要です。

浄化の雨

名曲「パッヘルベルのカノン」を聴きながら、ブログを書いています。カノンには、「永遠に続く」という意味があるそうです。「気持ちのいい和音(長調)→不安な印象の和音(短調)→解決する和音(長調)」の機能を持つ音が伴奏に使用されているそうです。

2025年10月9日母の容態が急変し、悪いなりの固定となり、自宅での看取りを決断しました。母が倒れてから怒涛の2か月半が過ぎました。
通夜が終わった後に、母の遺産相続権利が私にもあることにふと、焦点が当たり、「ん???」母への後悔と無念が私の胸を切り裂きました。

2023年4月母入院
名曲を聴きながら、想起されてくる映像は、主治医による診察。さっきまで自力で歩いていた母が車椅子に乗せられ診察室を後にした姿です。
母は、面会の度に「なんで、こんなとこに入れられなあかんの。帰りたい。」被害妄想が酷くなり投薬が始まりました。気力がなくなり、生きる力が落ちていきました。そんな選択をしたのは私たちです。

母は、正しかった。
認知症と診断されている人に、決定権がない!そんな風にも取れる入院です。
家族の意思だけで入院させられる制度。
更新の度に、しっかりと家族会議をする必要があったと・・・そんなこともできなかった私たちの姉妹関係。

母は、正しかった。
母が倒れてから、母が日常過ごしていた空間に足を踏み入れた。
デイルームのでの過ごし方。
母には、合っていなかった。
病室で体のどこもかしこも自分の意思で動かすことができなくなった母へ面会に行く度に・・・私はそのデイルームを通過しなければならない。
看護師さんやケアワーカーの方には、頭が下がる。感謝の気持ちでいっぱいで、胸が熱くなります。精神科病棟は、そのような形でしか見守りができないことも十分理解しているつもりです。
しかし、

母は、正しかった。
母よ、ごめんね。
母よ、私の力のなさで。

本当にごめんよ。

母は、日常生活全般が、一人ではできなくなっていました。入院の前にまだ、ステップがあっただろうと。デイの回数を増やす、ヘルパーさんの導入、妹の社会復帰。私が同居するなど。

しかし、家族の都合で、本人の意思ではなく強制的に入院となった。
老人ホームへの入所をもっと、もっと、強く訴えるべきだった。私が不足分を支払うと伝えても、「年金の範囲内で」

もっと、もっと、お金の出所を考えるべきだった。
年金の生活範囲内で・・・その言葉を鵜呑みにした私がバカでした。

叔母たちが、「どうして、そんなに遠い病院に入院させるん?」
妹「安いから」

私たちがしたことは、殺人に匹敵すると思います。
間違いを起こしてしまいました。

認知症と共に生きる人が心豊かに生きるためには、どうすることがベストなのか。
後見人制度を利用するべきでした。
家族が後見人になることもできます。

しかし、実家の風潮では家督制度がまだまだ、馴染んでいるようです。
キーワード【当家】です。

戦後、日本の相続制度は大きく転換され、戦前の「家督相続」が廃止され、「個人単位」の「平等な相続(法定相続制度)」が導入されました。
これは、個人の尊重と法の下の平等という戦後の民主化の理念に基づくものです。
日本の相続は、家中心の制度から、個人の財産権を尊重する現代的な制度へと大きく単冠されたのです。

私にとって、母への感謝とお詫びを伝える大切な日。
「永遠」「調和」
母への永遠の愛
母のオモイとの調和

名曲「パッヘルベルのカノン」を聴きながら、心静かに母への感謝の気持ちを整えたいと思います。

土砂降りの雨
母が悲しんでいるのか
全てが調和するための浄化の雨なのか。

最後まで、読んで頂きありがとうございます。