お金がある自由

「まだまだやりかいことがあるから、死ねへんねん!」

離婚後、長男を献身的に育てて下さった義母の言葉です。
長男は、就職1年後に鬱病と診断され、休職。
その長男が、4月新しい家庭を持つことになり、家を出ることになりました。
長男の世話がなくなると、
「義母の物忘れが多くなるのでは?」と娘と心配していましたが、この言葉を聞いて少し安心しました。年相応の物忘れが増えてきた義父と独身の息子たちの世話が続くからでしょうか。

基本的にポジティブで、クヨクヨしないタイプの義母。
世間的な目を気にして、自己肯定感が低い母。
認知症になるか、ならないかの分かれ目があるように思います。

好奇心旺盛で、多少の支出はお構い無しの義母。
やりたいことがあってもお金がもったいないと母。
お金に関する価値観の違い、お金への執着の違いがあります。

「認知症になっても、多少のお金は持たせて欲しい。」と当事者の友達が話していました。

なぜなら、
” 自分を保つため。”
” 自己決定のため。” 
そのようなことを言っていたと記憶しています。

認知症= お金の管理ができなくなる。いつもそのような状態ではありません。

食べたい時に
食べたい物を買える自由


子どもや孫に
何かを買ってあげられる自由


やりたいことができる自由

お金はあるにこしたことはありません。
認知症になったら、お金の自由まで奪われるのは疑問を感じます。

お金に対する価値観って、なかなかそう簡単に変えられることではありません。自分自身のことに置き換えたらどうなのでしょうか?そのお金は誰のもの?

「まだまだやりかいことがあるから、死ねへんねん!」自由に使えるお金があることが、その原動力になっていると私は考えます。

たい焼き一つでも自由に買える小さな幸せ。

認知症になっでも餃子の王将で、ビールと餃子を食べていたおじいちゃん。奥様との関係性が素敵だったな。