認知症の症状のある母

めっきり秋が深まり、冬の足音が聞こえてきそうな寒さですね。
身体が少しびっくりしています。

先日衣替えしながら、母のことをふと思いまだしました。

母の洋服の好みと私は全然好みが違いました。
母は、良かれと思って私に服をプレゼントしてくれるのですが、全く私の好みではありませんでした。
母は私が処分した服をひっくり返して、母が着ていることもありました。

そのようなことをする母が私は好きではありませんでした。

父の看取りのために実家で住んでいた時のことです。
「何時に帰ってくるん?」
「まだ、起きてるん?」などと、かまわれて、ぶち切れたこともありました。

認知症の症状があると分かっていても、そうなってしまう自分があったことを思い出しました。

それも自分だから方仕方ないにしても、女同士の同居って難しいなと思います。
台所の使い勝手もそれぞれですし、掃除のやりかたもそれぞれです。

私も20年後、30年後には、シニア期に入ります。
どんな生活をしているのだろうか。
シニア期って、言葉も気にならないぐらいに2足歩行でしっかりと自立して生きていたいな思います。

認知症の症状のある母を客観的にみてきて、感じたことがいくつかあります。
まず、人に気をつかったり、我慢したりする生き方は、良くないと思います。
育てられた環境でそのような性格、思考になったこと。幼少期の経験は、その後の人生を大きく左右します。しかし、それを変えることも出来ます。

全て自分次第なのです。

お薬に頼る必要もあるかもしれません。
それも自分の選択です。

少し話はそれますが、娘は「解離性障害」と診断されたことがあります。私も良かれと、精神科を受診させ、保険内でカウンセリングを受けていました。しかし、ある日突然、カウンセリングの先生の言っていることに反抗し、薬もカウンセリングも受診も止めることになりました。

その後は、徐々に回復し、今は幸せに暮らしています。
周りの支えも必要だけど、全て自分で決めることができました。

つまり、認知症の症状や介護で悩んでいる人、生きづらさを感じている人は、幼少期の経験(トラウマ)の解放が必要だと私は経験上、そのように考えています。

私の根拠は、薄っぺらいです。
でも、とても外れているとは思いません。

私は、そのトラウマを解放できたから、今は楽しく生きているのだと思います。娘も自分自身で決断し、薬を手放し幸せを手にしました。


認知症の症状のある母や娘が、教えてくれたこと。
人に気を使い過ぎない。
我慢し過ぎない。

認知症の症状があっても、社交的だった母のことはリスペクトしています。
「認知症でもこんなことできるのよ!」って。

もっと、一緒に活動したかったな・・・
母が入院している敦賀も明日は冷えるんだろうな。