認知症と共に生きる母
母は、生理食塩水500mlで、生命を保っています。
母の認知症の症状の原因となる病気「多発性ラクナ梗塞」が、脳内出血の原因です。
「多発性ラクナ梗塞」
脳内の最短の細い血管、先の先の血管が多く詰ま流タイプの梗塞が、複数箇所で多発する状態です。サイズは、梗塞巣の直径が数mmから、15mm 程度と小さいのが特徴。
一つ一つが小さいため、急激な症状は現れにくい傾向があるそうです。
長期間にわたって多発することで、認知機能の低下につながっていたようです。
このようなケースの場合、大爆発することがあると・・・
母が診断を受けてから、10数年です。
大爆発を起こしました。
自宅だったら、即死だと思います。
母の認知機能低下は、ゆっくりでした。
認知症カフェや講演活動も一緒に活動していました。
大好きな折り紙も、ハーモニカも数年前までやっていました。
入院する2年ほどは、歩行障害やふらつきが、顕著に現れていました。
入院するまでの選択が悔やまれます。
経済的状況によって、選択肢の幅が広がっただろう。
例えば、有料老人ホーム、小規模多機能事業所などもあっただろう。
家族間のコミュケーションが円滑であれば、しっかりと話し合えただろ。
価値観の違いをお互いに認め合いながら、建設的な話し合いをもっとするべきだったのだろう。
こうしておけば、あーしておけば・・・
しかし、あの当時の選択はそれで良かったと思うしかない。
母が決めてきた人生だから、子どもたちがどう言っても、仕方ない。
私もいずれは、通る道。
誰かの助けがないと生きていけない状態になるかもしれない。
ならないかもしれない。
それは、誰にもわからない。
誰かのために。
というより、自分のためにありのままカフェがあると思う。
誰かとゆる〜く、繋がるための場所。
私にとって、活躍できる場所。
みんなが、そう思ってくれたら嬉しい。
もうすでに、そうだと思う。
ありのまま。
母にとてのありのままが、「誰かのために尽くすこと」だったのかもしれない。
でも・・・
もっと、自分中心で生きて欲しかった。
自分軸で、自分を1番に考える思考にならなかった母。
私には、そう見えた。
私の嫁ぎ先に草引きに来るのが唯一の楽しみだっただろう。
そんな母に対して、私は鬱陶しさしかなかった。
それは、押し付けだったから。
草むら状態になった私たちの庭が、母にとっての居場所だったのだろう。
誰かの役に立ちたい。
認知症の症状がある人、診断された方は、そうおっしゃることが多い。
「誰かの役に立つのであれば。」
認知症の症状が少しずつ現れ出した頃、母は庭に来なくなった。
庭は草むら状態が維持されるようになった。
母は、自転車を乗ることができなくなったから、もう庭の草引きを積極的にできなくなってしまったのだ。
今の私なら、わかる。
母にとっての居場所。
それは、庭の草の中だった。
土に触れ、無になって草を引くこと。
嫌なことも忘れることができる時間。
瞑想状態になれる時間だったのだろう。
それに関して、鬱陶しさを感じていた私はとても悔いる。
ごめんなさい。
ありがとう。
今更だけど、愛しています。
人の命が亡くなるタイミングでしか、自分の中にある慈愛を感じることができない。
そんなことでいいのだろか。
限りある命
誰に対しても、どんな時でも、慈愛に溢れる人でありたいと思う。
最後まで、読んで頂きありがとうございます。
母の命が消える日まで、また、毎日ブログを更新しようと思います。
お付き合い頂けますと幸いです。