認知症バリアフリー地域づくり
母のパジャマを久しぶりに洗濯した。
認知症という状態なのに「入院」してる。病気じゃないのに。
行動心理症状が悪化したから。
主介護者がギブアップしたから。
医療的保護入院
「薬よりも環境」で改善したかった。
選択肢として、母には私と生活するという選択肢もあったが
私の経済的理由、ハード的理由。
私の活動が全て止まってしまう。
直感で、私の我命ではないと分かっていたから。
(少しスピリチュアル的)
実家を離れて、母と私が暮らす選択肢はなくなった。
母は、パジャマで過ごしている。
入院=病気
病院は、生活の場所ではない。
病気を治すとこ。
車椅子使用の時間が長く、姿勢保持も難しくなってきている。
表情も乏しくなっている。
車椅子での座位が可能な間に、外泊して、旅行に行きたいな。
母が入院している福井県は、小学校の頃に家族旅行へ行った場所。
当時の父の車は、昭和50年代のマークII。茶色でボンネットミラーだった。
夏休みのあの頃を思い出す。
部屋食でお造りの舟盛りと甘海老をたらふく食べた。
父は、この世にもういない。
母は、入院中。
認知症の状態の人の生きる
認知症バリアフリー地域づくりに挑戦することになった。
当事者の方と対話をする。
対話を積み重ねる。
どれぐらいの頻度で
着地点をどうするのか。
地域の方にも認知症に関するバリアフリーを考えてもらうきっかけにする。
認知症バリアフリー地域づくり
「推進事業」
推進とは、何かを前進させる行為や過程を示す言葉。
そのような過程を創り出すのか。
どこを目指すのか。
この夏の私の大きな宿題です。
母の生きるって、なんなやろう。
母にとっての認知症バリアフリーって、なんやろうか。
スピリチュアル的は表現になるけど
「この世に来るときに人は皆、こう生きる。」
と決めて生まれてくる。
だから、母のこの今の状態は、仕方ない。
私の人生において、関係ない。
文字にすると冷たく感じるかもしれないけど、私はこのように解釈することで自分自身を保っている。
心の奥底はそうではない。
辛いし、悲しいし、後悔もある。
だから、変えようとしている。
私も認知症の状態にはなりたくない。
突き動かされている感覚。
認知症バリアフリー地域づくり推進事業
この先に私たちmusubiが描いている「生きる」があると信じて。