誰かと関わること 認知症

久しぶりにOFFの時間
大切な仲間と語り合えた。

わかっているようで、まだまだわかっていない。
認知症の症状のこと
家族の辛さ

一年前の母と妹と、わたし。

母のことを愛おしく思えた時間
母のことを「もう、勘弁して〜」と思った時間
妹の折れる心を客観的に冷静に見ていた時間

どれも、大切な時間だった。

介護、医療関係の資格を持って現場で色々な経験していても、この貴重な経験は得ることができない。
資格はあるに越したことがない。
しかし、経験に勝るものはない。
資格が邪魔をする場合もあるかもしれないし、教科書通りにいかない。
(子育て期に育児書に頼っていた私だから、なんとなくわかる。)

3日後、私は2ヶ月ぶりに母と面会する予定。

孫娘の世話をしながら、ふと思う。

母にとっての居場所が、私が嫁いだ先にある草だらけの場所だった。
母にとっての草引きは、〈無〉になれる時間だった。
働き者の母だった。
父との折り合いがあまり良くなく、母はここに居場所を求めていたのかもしれない。

しかし、若かった私はそんなことも知る由もなく。

・・・ハッキリ言うと、鬱陶しかった。
母は、とても人の目を気にする人だった。
父の言動が、村の中で良い評判でなかったこと。
金遣いが荒いこと。
我慢と不満の塊の母だった。

その上、自己肯定感が低い。

親子関係も良好とは言えなかった。
私自身、自分軸がなかった。
一見しっかり者の長女に見せかけていたが、結婚してからどんどんボロが出た。

(この話は、別の機会に)

そんな母との関係性だったが、母は私のことをとても頼っていたように記憶している。
しかし、鬱を発症した私は、母を1番恨んでいたことを知った。

ショックだった。

認知症の母と、父を看取る時間に母と妹の関係性も垣間見ることができた。
母を懸命に介護する妹に対して母は不満を漏らしていた。

「あの子は、お父さんにそっくり。」
一緒にいるのは、いやだ。

「あんたと一緒に暮らしたい。」
(あんた=わたしのこと)

介護される母自身も色々な感情を味わっていた。
今までの関係性が滲み出てくる。

でも、3日後に会う母はどうなっているのだろうか。
私の知っている母はそこにいるのだろうか。

母らしさがどこまで残っているのだろうか。

孫娘とこうして笑顔でいることができる環境がとても幸せです。
娘は、私のことを鬱陶しいと思っていないと思う。

母のお節介は、私の入って欲しくないエリアに入ってくる人だった。
性分だから仕方ない。
それが、母らしさ。

母なりの誰かと関わる手段。それが頼まれもしていない草引きをすること。
母は母なりに私との距離を埋めたかったのかもしれない。

父は突然に父でなくなり、
母は徐々に記憶の中から私が消えていく。

友達の僧侶がこう話してくれた。
仏教の世界では、
このような状況を「さよならのない別れ」という。

そう教えてくれた。

これから私たちが創ろうとしている場所は、そんなことも自然に受け入れることができる環境をつくりたいと考えている。誰もが一人で生きることができない。

「さよならのない別れ」

人は、誰もが、誰かと寄り添いながら生きている。
誰かと関わることをしなくなったら・・・

孤立しないこと。
ありのままで過ごせる居場所
ありのままである。

簡単なようで難しい。

ふとそんなことを感じた1日になりました。