友達の大切さ 認知症

4ヶ月ぶりに母と再会。
福井県敦賀温泉病院に入院して、もう少しで1年になる。
もう、一年。
ここ2年で急激にADL、QOLが低下していた。
自宅での生活が困難になり、昨年の3月に入院した。
病院は、生活の場所ではなく、治療の場所です。
ずっとパジャマ。
業者さんに洗濯物を委託することもできるけど、それをしたら面会に行かないような気がして。
洗濯物を受け取り、コインランドリーへ向かう。
食事や便の汚染はない。
少し安心する。
(食事はエプロン使用、半介助が必要と聞いている。)
便汚染がないのも、便意がまだあるのだろうと予測できる。
洗濯が仕上がるまでの時間は、福井県一宮「氣比神宮」を参拝させていただく。
ただ、あまり何も考えられない。
考えないようにしていた。
洗濯物を取り出し、温かい洗濯物を畳みながらほのかに尿臭がする。
(仕方ない)
入浴は1回。
パジャマのズボンとバスタオル、靴下のセットが3セットあった。
ん・・・
心が痛い。
面会時間になった。
「何で、私はここにいるの?」
「早く家に帰りたい。」
「友達がいない。」
「足が悪くなって、歩けなくなんたんよ。」
少し大袈裟めに伝えるわたし。
「そんなん、私、走れるで。」と、車椅子に座ったまま足を動かそうとする母。進行している。
「友達が誰もいない。こんなところ嫌だ。」
母よりも重症な方も多く入院されている。
仕方ない。
治療のための入院だから。生活の場ではない。
涙と一緒に鼻水がでる。
「テッシュ持ってないか?」と、母。
「えーやんこれで。」と、パジャマので拭おうとすると「これ、会社着やからやめて。」と、若干の混乱。
あ・・・
もうすぐ、春。
そろそろ母も新しい門出に。
15分のベルが鳴った。
母は前ほど「帰りたい、今すぐ一緒に連れて帰って」と訴えなくなった。
諦めているのだろうか。
でも、この1年間、ずっと、ずっと、ずっと
なぜ、ここにいるのか理解できないでいる。
被害妄想になり、投薬でおちつくがそれは解決になっていない。
なぜ、自分自身がここにいるのか。
帰りたい。
帰りたい。
ひとりぼっち。
誰かに会いたいけど、その人の顔も忘れてしまった母。
私は、名前を呼んでもらえなかった。
その寂しさが今、込み上げてきた。
さよならのない別れ
今、じわじわと、私の心をしめつける。
ごめんね。
ごめんね。
ごめんね。
母のいる部屋からは、この雨の様子を見ることができない。
ごめんね、