母との面会

1ヶ月ぶりの面会
気軽に行ける距離ではない、福井県敦賀市。
〈どなた?〉という表情の母
やっぱり、ショックだった。
身体は、右側に傾き
顔には表情がない。
「娘のあゆみです。」
「・・・あ」「こんなとこ・・・」
早く出たい。
友達誰もいない。
と訴え、涙が頬をつたう。
毎度、同じパターンだが、そのメッセージに力強さがない。
目ヤニがついたままの母の目を拭いながら、私の心は申し訳なさでいっぱいになった。
「ほんまか。」
「分からんわ。」
私の顔をすっかり忘れてしまった母。
私は、その母の透き通った白い手のひらをさすりながら、「生きていてくれてありがとう。」と何度も心の中で呟いた。言葉として発することをためらった。
母は、現実なのか、夢なのか分からないようだ。
「これは、ほんまか。」
言葉数も少なくなり、斜め下の廊下を眺める時間が多くなった母。
「ほら、この指見て。」
と、母の今ある目線から、私の指を見せて、その指の動きのまま母の目線を私の顔の位置まで上げる。
「ほら、ここ。いたやろ。あゆみが」と笑顔で話しかけるが、母には笑顔はない。
「ゆめやないよ。」「・・・」
母の右の手のひらをつねってみた。
「痛いやろ。」
「・・・」
右の手は拘縮があり、もう感覚がない様子。
やらかした・・・・母の手のひらは、少し紫色になった。
ごめん母。
痛みの感覚もなくなっている母の右手。
楽しい時間を過ごしたいための私なりのやり方だった。でも、それは間違っていた。
母の両腕は、母の思い通りにはならない。
大好きだった折り紙
大好きだった草引きも出来なくなった母。
孫たちに奏でてくれたハーモニカも、もう今の母には無理なんだ。
その手で、ひ孫を抱くこともできないんだ。
・・・辛い。
認知症と共に生きる人生きるって・・・
病院ではなく、日常の生活を送らせてやりたい。
要介護5
自宅での介護を私の頭をよぎる。
出来ないこともない。
でも、特別養護老人ホームの順番待ちをしているのにそんなことは言い出せない。
私は、「母の働きたい。まだまだ、私にできることがある。」この言葉が私の今の活動の原動力。
私は、認知症と共に生きることがないよう、生きているつもりだ。
でも、それは、誰にでもやってくる可能性がある。
7人に一人は、認知症と共に生きることになる。
寿命が長ければ長いほど、そうなる確率が上がる。
そうなっても安心して生きることができる社会
そうなっても安心して暮らすことができる仕組みを構築したい。
そうなっても、認知症と共に生きることを楽しめる自分でありたい。
私が光になって。
今の介護保険制度や医療保険制度、年金制度、雇用形態では、それは難しいと感じている。
だから、今、わたしは向かっている。
母の生きるを今の私にできる範囲で応援したい。
認知症と共に生きる人の役に立ちたい。
そんなことを願いながら、ありのままカフェ2日間を終えた。
最後まで読んで頂きありがとうございました。