和顔愛語

私の座右の銘『和顔愛語』です。
鬱の頃に、心に刺さった言葉。

「げんきになったら、そんなひとになりたい」

そうなれない時期もありましたし、今もなれているかわからないけど。でも、そうなれている日が多くなってきたと感じています。

この言葉は、『大無量寿経』
(だいむりょうじゅきょう)というお経の中にある言葉です。
『和顔愛語』(わげんあいご)とは、和やかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接することです。
さらにこう続きます。
『先意承問』
(せんいじょうもん)
相手の気持ちを先に察して、その希望を受け取り、自分が満たしてあげるという意味です。
気分が悪い時や苦手な相手に、思いやりのある優しい言葉をかけるのも、抵抗があるものです。

先意承問
つまり「相手のことを先に考えて、与えること」です。
笑顔になってほしいのであれば、まずは相手に笑顔を見せること。
自分から先に相手の気持ちを重んじて、相手の幸せを考えるのです。

この心を仏教では『慈悲』(じひ)といいます。私たちが穏やかに生きるためには、みんなが慈悲の心を持つことが大切ということです。

孫娘には、このように接することができます。

なぜ?(私なりの考察です。)
娘はありのままだから。
赤ちゃんって、感じたままに生きていますよね。
お腹が減ったら、機嫌が悪くなり
興味あることには、没頭し、飽きたらやめて。
そして、何の見返りも求めていないし、何の損得もない。

だから、無償の愛で接することができるのです。

なぜ、娘には出来るのか?
考えてみてください。
孫娘は、まだ、話すことができません。笑顔でこちらを見つめます。
『先意承問』(せんいじょうもん)を先に与えられているではありませんか。

私は、孫娘に対して、わげんあいごでいられてる!と勘違いしていました。孫娘から先に与えられていました。

なぜ、このように私は勘違いしたのでしょうか。
私の方が偉い。
与えるべき方は私。という ” 当たり前 ” という価値観があったからだと思います。

孫娘のあり方から学ばせて頂いた、
私なりの『わげんあいご せんいじょうもん』でした。

季節の分かれ目を迎えましたね。
嬉しい、楽しい、凄いを感じる1日になりますように。