両手を強く握られ

「お願いやから、ここから出して!」「1ヶ月以内になんとかして。」
「俊ちゃん、美有ちゃん、ほんで誰やったかいな。」

「悠大な」と、わたし。

「顔を思い出そうとしても、もう出てこうへん。」
「悠大さんは、何年生や。」
「もう22歳やな」

「お願いやから、
ここから出して!」
「1ヶ月以内になんとかして。」
「車の後ろに乗せて今すぐ連れて帰って欲しいぐらいやは。」
「誰も知っている人いいひんし」

「お願いやから、
ここから出して!」



顔つきも変わってしまい
車椅子の座る姿勢も。

15分の間に5回以上そう訴える。
明らかに1ヶ月間の母の様子とは違う。

洗濯物を妹に届け、感情を殺し
妹に淡々と伝えた。

妹には響かない
「入る前がひどすぎたからな。」
「暴力振われる勢いやったから」
「コロナになって関節の痛みが強くそれから立つことも厳しくなったみたい。」

妹 2日後に初めての面会
妹の心が動くことを願う。

認知症の状態のある人の
「生きる」って、なんなんやろうか。

苦しい。

実家に母のベッドはもうない。

「こんなのどうやろうか。
ここから出て、毎日私が会いに行ける近いとこ。」
「違う施設に行くのはどう?」

「毎日会いに行くし、
ご飯も一緒に食べよ。どうかな?」

自分軸で生きる。
自分の人生を優先することは、
大事。
母のことよりも。
そう妹には伝えた。背中を押した。

私は薬の調整の入院。3ヶ月後には見直す。妹の気持ちが変わるかもと微かな希望を抱いていたけど・・・

私が娘に同じようなことをされたら。

母の心はまだ動いている。
感情も
表情もある。

母への憎しみ、怒り
母からの懺悔
二人の間には、本人たちも気づいていない、目に見えない何かがあるのかもしれない。

母の生きる。

私に色々なスイッチが入った。
能登半島地震2次避難者支援の帰り道に。