顔を洗う動作

毎朝、当たり前にすること。
歯磨きして、顔を洗う。
私は、母にそう躾けられました。
母も当たり前にやっていました。

今、あなたが当たり前にやっていることがどんどん出来なくなったとします。
その苦痛って、イメージするの難しいですよね。
想像できないですよね。
でも、介護には、その想像力がとても大切になります。

介護するって、子育てよりも奥深く、愛おしいと私は思っています。
そして、自分の成長には重要なことなのかもしれない。
母の入浴介助、トイレ介助、食事介助、見守りを通じてそのように感じる日々です。

入浴介助のエピソードをご紹介します。母の入浴介助は自宅では困難な状況になってきました。
私は、資格はないものの、元旦那さんとデイサービスを経営していた際に入浴介助の援助もしていたのでその経験が生かされています。
手すりの位置や移乗などのコツも分かっています。
しかし、もう、限界です。
(私自身、交通事故の後遺症のため、無理をすると首と腰、脚がずれてしまいます。)

母の症状は以下の通りです。
(誰かの何かのお役になてたらと思い、書き記します。)

血管性脳梗塞(ラクナ梗塞) による認知症。母は半年前、レビー小体型認知症を発症。

レビー小体型認知症は、少し厄介だなと感じています。

見えないものが見えたり(幻視) →まだ、ない。
認知機能が良い時と悪い時の波がある (認知機能の変動)→とてもある。
歩行など動作の障害(パーキンソン症状) →とてもある。
大声での寝言など睡眠中の行動異常 (レム睡眠行動障害)→睡眠導入剤を服用しても夜中に何度も起きる。

遺伝性は基本的にはない。
(ほっ)

予後はアルツハイマー型認知症より短く、発症後平均3-4年とされています。(あら。)

日常生活動作を低下させる症状があるため、食事がしずらい状況です。 衣服の着脱ができない。ベットに寝る姿勢ができない。座っている姿勢が保てない。
例えば食事の面では、ご飯は、おむすび 。おかずは、一口大のサイズ 小皿に置いて食べる。
ひどい時には、食べさせて欲しいとの訴えがある。
コップも使いづらく、水分摂取も一苦労。
排便のコントロールが必要です。
立ちくらみ(起立性低血圧)があるため、 湯船から上がると暫く動けない。

こんな状態での入浴時のエピソードです。

「顔を洗いたい。」と訴える母。
水を掬う動作が何度やってもできません。
いくら工夫をしても出来ません。
私は 創造力を働かせました。

私なら、洗いたい。母にも。

母には両手で顔を隠す状態にしてもらいます。
そこへ私が母のおでこから、湯をを流して、母が顔をさする方法を試してみました。
母は納得していないようでした。

今まで出来ていた当たり前のことが 出来なくなる。
自分ごとに想像すると胸が苦しくなります。
「今日が最後の入浴介助かもしれない。」
私の目から、涙がこぼれ落ちました。
懸命に背負うとすればするほどに涙が零れ落ちました。

musubiで大切にしている「掬び」
丁寧に水を「掬う」という動作ができない母。

何度やってもできない。

私の入浴介助が限界に来ていることを伝えることにします。勿論、 妹の精神的状態も限界です。
ショートステイや施設入所を 考えるざるを得ない。

しかし、動かない妹。

決断と覚悟です。決めるのは妹です。

帰り際に母へ「迷惑かけたらあかんで って。」言ってしまいました。
それを十分わかって、苦しんでいるのは母。
母「何の役にも立たへんのに迷惑ばかりかけてごめんね。」と母が何度も言うのを知っているのに・・・
私「今までいっぱい孫の子守もしてくれたし、畑も草引きもしてきたし。いっぱい役に立ってきたやん。」「もう十分やで。ありがとう。」と伝えているのに。

「迷惑かけたらあかんでって。」
妹はまた、こたつで雑魚寝して母の夜間の対応をしてくれるそうです。

もう、あかんて。