シニア期のあり方
『わたし、もうすぐきえてなくなるの。』
これは、若年性認知症と診断された女性の言葉です。
(若年性認知症とは、65歳未満で発症する認知症を指します。)
私は、大きな衝撃を受けました。
彼女は、歩くことができたので一緒に散歩することもありました。
しかし、土の匂いや風の香り、虫の声も彼女には感じることができません。
食事する時も、入浴する時も、排尿する時も、そこに〈自分の心がない〉のです。
彼女は、今までの自分とは違うことをとても理解していました。
不安に押しつぶされそうになりながら、言葉を発していました。
「ちがうの ちがうの」
「わたし もうすぐ きえてなくなるの」
同じ場所にじっとしていられません。過去の栄光の話をよくしてくださいました。
淡々と。
その栄光にしがみついているように。
その記憶が自分を保つための一つだったのかもしれません。
でも、ふとした瞬間、不安が襲ってくるようでした。
症状は、人それぞれです。
自分らしさがなくなっていくことは母も、とても辛かったようです。
私の母は、認知症と診断されています。
65歳の頃に診断されました。
自由に使えるお金がない。
好きな草引き、ハーモニカ、折り紙を自由にできない。
自転車に乗れなくなり、行動範囲が制限された。
母は、
「生きている価値がない。」と言っていました。
主介護者は、妹。
私は冷静に2人を観察し、サポートするしかできませんでした。
2人の言葉や雰囲気をそっと掬う(すくう)こと。
水を掬うように。
手と手を合わせた隙間から、水がこぼれおちないように。
そっと。
手を合わせて、心を合わせて。
介護は突然にやってきます。
終わりが見えない不安。
終わりは命を仕舞う時。
私は、そう考えています。
診断から、10年以上が過ぎ、母は入院しています。
妹の自立、社会復帰を優先したからです。
持ち家と年金で暮らしていました。
(多くあるケースです。)
私は、親の介護は少々、無責任でも良いと考えています。
支援する側の生活が最優先です。
たった一回の人生ですから。
親の価値観の変換も必要です。
(私たち世代なら、今からでも間に合うかもしれない。)
老後は、子どもに面倒をみてもらう。
ここを手放す。
私は、自立したシニア期を過ごしたいのです。
自由に過ごしたいのです。
自立したシニア期を過ごせる環境を構築したい。
私のように離婚した人やシングルの人も多くいます。
どのように〈死〉を迎えるのか。
どのように今を〈生きる〉のか。
そんなことを少し深掘する1日にしたいと思います。
台風は、消えましたね。笑